七夕の思い出

mizunox2004-07-07

 大学1回生の時の七夕、母方のじいちゃんが亡くなった。おれ墓も近いし、墓参りに行ってきました。暑かったなぁ〜!
 じいちゃんは耳が遠かったけど頭はすごいしっかりした人でした。耳が遠いせいでいろんな情報を聞こえずみんなの話も半分はわからなかったと思うけど、頭はほんまにきれていた。心臓が悪くなり滋賀県の病院に入院していておれも授業がなければ近いし見舞いに行ったけど、亡くなってから思うことはやっぱもっといっぱい見舞いへ行けばよかったと思う。おれが見舞いに行って大学の時間割りを見せたら興味深く見入っていた。孫のためにいつも行事など駆けつけてくれた人で、ほんとに成長を喜んでいてくれていたと思う。おれの見舞いはすごくうれしがっていると聞いた。能が趣味でよくうたっていたことを思い出すなぁ〜!トランプも昔はよくしたし、プールにも連れて行ってくれた。うちの父方のじいちゃんと同じ職場で、二人はよく遅刻しかけて駅から会社まで二人で猛ダッシュしていたらしい。昼休みには将棋を打っていた。それがきっかけで親父とかあちゃんを見合いさせたらしい。煙草が好きでばあちゃんが「朝起きたらタバコを本当においしそうにのまはるからあれみたらやめろって言えないわ〜」とやめろって言いまくっていたけど・・言っていました。まあそのせいもあり、心臓が弱くなったんです。
 じいちゃんはまず心拍のリズムを整えるためにペースメーカーを体内に埋めた。そのおかげで顔の腫れもひき本当に苦しそうにしていたんやけど、治ったかのように楽になったみたい。ここまでは本当に大成功やったのに次の手術が失敗だった。足の付け根の血管からカテーテルを入れて心臓まで伸ばし、血管を広げたりする手術でとりあえず無事終わったけど、その日の晩にはICUから患者が多かったから一般病室に移され、術後やし痛い痛いとばあさんに言っていたみたいやけど「辛抱しなあかん」とばあさんは聞かせていたらしい。その時はたいして異常はなかったんやけど、ばあちゃんも帰って夜にじいちゃん痛くてナースコールをして処置室で治療を受けて病室に戻されてからまたしばらくしてじいちゃんはどうやら足の付け根から大量の出血したらしく、近くにあった魔法瓶の水筒をベッドに叩きつけてガン!ガン!鳴らして人を呼んでいた!でも気付かれた頃には脈もなく、もう死んでいる状態だったのを次の朝早く連絡を受けて駆けつけたらなんとか人工心肺で生かしている状態になっていた。そして7月7日に死亡とされた。
 おれらにはなぜ?という疑問が・・・。水筒を叩きつけているのも同じ部屋の入院患者さんから聞いたが、なぜそこで看護婦や医者を呼んでくれなかったのか?もしくは、鳴り止んだ、つまりじいちゃんが壮絶な死を迎えたためにそのままにしてわからなくなったのか?いつじいちゃんの異変に気付いたのか?心肺停止後かなりに時間が経っていたのかもしれない。それまで医者はなにをしていたのか?手術後の晩ならば心拍数なりの装置をつけてモニター監視等はしないのか?そもそも痛がっている患者を一般大部屋に移すこと事体おかしなことだ。じいちゃんの息子でおれのかあちゃんの弟がその辺を葬式が終わった後も病院に訪ねたりしていたが、病院側はやはり隠蔽する。じいちゃんの死は明らかなる医療ミスである。しかしそれ以上のことはできなかった・・・。本人はどう思っているか?それはもうわからない。しかし、出血が止まらずなんとかしようと必死で水筒をベッドに叩きつけた、でも力尽きた・・・。その事実はおれら家族にとっては無念でならない。戦争乗り切って、立派にかあちゃん姉弟を育て上げ、孫にとっても素晴らしいじいちゃんがこのような死を迎えなければならないものなのか?思い出すたびにつらいことだ。七夕になると思い出す。